マインドが判断するのを見てごらん。
判断が出てくるのは、その一部として自分の恐れからのものがある。
他人を判断するのは、自分が自分自身の存在に不安を抱いているからだ。
判断することで、他人との関係性における自分の居場所を見いだしている。
判断するマインドは非常に対立的だ。
分離させてしまうのだ。
分離はあなたのハートを閉ざしてしまう。
人に対してハートを閉じれば、
自分とその人たちの苦しみを持続させてしまうことになる。
判断から抜け出てシフトするには、
判断する代わりにハートを開いて
自分や他人の苦境に対する理解を学ぶことを意味する。
すると、自分自身も他人も分離させることなく
そのままでいられることができるのだ。
選択の余地がないのは、
良いことも悪いことも含む存在のゲームだ。
毎回あなたが何かを押しのける度に、
それはそこに残ってしまうものだ。
絨毯の下のゴミは増えるばかり。
悪い時期が良い時期よりも興味深くなるのは、
その体験が自分の位置を知らしめ、
やるべきことが示されるからだ。
ただ「教えてくれて感謝している」と言えばいい。
他の存在を判断する必要はない。
自分自身に取り組む必要があるだけなのだ。
誰かがあなたの怒りを誘うならば、
あなたがそこで怒る唯一の理由は、
あなたがこうあるべきだという思考に執着しているからだ。
あなたはあるがままを否定しまっているのである。
そしてそれが自らの地獄を創造してしまう己のマインドが抱いた期待であったことがわかるのだ。
自分の思った通りにならず失望するとき、
その失望の対象だけでなく、
自分の思考回路を観察してごらん。
多くの感情的な苦しみは、
宇宙がどうあるべきかというあなたの理想と、
あるがままを許せないことで創造されたのだと理解するだろう。
ーラムダス
(以前にどこかで読んで、訳して保存しておいたのを載せてみました。オリジナル不明でごめん。今の自分に向けてのメッセージかと思うような文章だったので。)
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