私たちは皆、周囲から期待されていることを淡々と、あるいはものすごい努力をして、良き人・母・妻・恋人・友人であろうとする。
それがあるとき、突然心がひび割れ、鬱積した感情やあらゆる葛藤が一気に噴出し、自分が別の誰かへと変わってしまう。無価値、無力、犠牲者意識。こんな私もいたんだなという新たな発見。不安に苛まれ、神経衰弱に陥り、食事が喉を通らない、泣いたり怒ったり、パニックを起こしたり心臓が止まりそうになったり。
こんな状態って究極の災難のように思えるかもしれない。でもこれだって、わたしにあえてそれを経験させてくれている大いなる力が働いているに違いない。正しく対処すれば、それは学びとなり、適切に自分を磨くためのまたとない機会になり得るのではないか。
このような状態は、体と精神の全てを使ったアラームシステムのような気がする。実際、感情的な痛みが起こるのは、私が「虚偽を信じているという事実」に対して警告を発するアラームが発動してくれているということ。熱いものに触れた瞬間に身体の痛みが警告を発して、それ以上火傷が深まらないようにするのと同様、有害な信念があることを感情が痛みとしてアラームを発してくれる。認識できるからこそ解放も可能だ。「私なんてダメなんだ」と思うとき感情的な苦痛が起こるのは、それが全く真実でないから。感情的な苦痛は、間違った信念に警告を発する優秀なシステムだ。
自分がこういう状態になったのが誰かのせいだとか思っている限り、心の傷を癒すことも、許すこともできないだろう。誰か責めることは、私の傷を癒やさないだけでなく、自分の潜在意識に、その人が現在も私に対して大きな力を持っていると伝えているようなもの。それが自分を無力化してしまう。ここで最適な回復方法は、自分が無条件に自分の価値を認め、他人が心のニーズを満たしてくれるという期待を捨て、自分の力を取り戻すことなんだろうな。
「引き寄せの法則」によると、私たちは無意識のうちに、自分の心の傷のスイッチを入れる人を引き寄せている。たとえば自分はいつか見捨てられるんじゃないかという意識を抱えていると、コミットしないパートナーを引き寄せてしまう。つまり癒されていない心の傷が、理想のパートナーとの出会いを阻む。
自分が深いところに持っていた傷に気づけば、そこからは本当の自立心、深い知恵、愛情豊かな思いやりなどの恩恵が生まれるのではないか。今がそれを認識する素晴らしいタイミングなのかもしれない。
そして「許し」。許しは決して許される人のためにあるのではなく、私が自分自身に贈る最高のギフトなのである。
というわけで音楽はオランダの作曲家ユップ・ベヴィンの「贈り物〜ギフト」この音楽家はグランドピアノを使わないんです。とても素朴な古いアップライトピアノを使っていて、時にフェルトを使って音をさらに和らげたりする。静かに内省するときに、瞑想とこちら側の間を漂うようなとき、背景で優しく流れていたりするととても心地がよくて、寄り添ってくれる感じ。キャンドルの灯りの夜にとてもよく似合うんだよね。
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