偶然開いた本のページの文章から思い出したことを記しておきます。自分用メモ。本のページを何気なく広げることは、オラクルカードを引くみたいな時があるよね!
バガヴァッドギーター
2章47節〜48節
クリシュナがアルジュナに言います。
あなたの職務は、行為そのものにある。
決してその結果にはない。
行為の結果を動機としてはいけない。
無為に執着していはいけない。
アルジュナよ、
執着を捨て、成功と不成功を平等のものと見て、ヨーガ(実践)に立脚して諸々の行為をせよ。
ヨーガは平等の境地。
バガヴァット・ギーター
内容(「BOOK」データベースより)
インド古典中もっとも有名な本書はヒンドゥー教が世界に誇る珠玉の聖典であり、古来宗派を超えて愛誦されてきた。表題は「神の歌」の意。ひとは社会人たることを放棄することなく現世の義務を果たしつつも窮極の境地に達することが可能である、と説く。サンスクリット原典による読みやすい新訳に懇切な注と解説をくわえた。
カルマヨガの実践
ずっと昔に、亡き夫が私に「カルマヨガの実践者だよね」と言ったことがあって。夫が自分をそうみていたことは嬉しいと思うが、言われた当時も今も、私がカルマヨガを実践しているとは思えません(笑)、全く。
でも最近になって、人生の色々な場面でカルマヨガの実践を心がけるように仕向けられてるんじゃないかと気づくことが多い。
カルマとは言葉の意味は単に「行為、行為の結果」という意味です。
カルマヨガとは、ざっくり言えばダルマを生きることですよね。
日々の活動全てが修行で、無償の愛で見返りを求めず、奉仕や行動をすること。
人はみな、生きていれば毎日の行動の中で必ず原因と結果としてのカルマを作りながら生きています。
その行動の結果は、すぐに現れるものはわかりやすいけど、過去生のことはここでは横に置いておくとして、今生きているところで起こしているカルマで、とらえにくいのが執着です。
自分の行為に対する結果へ執着することです。
結果というのは、良かったり悪かったり、あらゆる要因が絡んできたりして、ああしたからこうなった、みたいな単純な結果でもなく、コントロールもできないものです。
色々端折って、超要約すると「見返りをもとめて行動するな」というクリシュナ。
行うべき行動にまっすぐ向き合ってにフォーカスし、さらに大事なのはそれをどのような心で行うか、なのです。
自分に与えられた義務に専念して献身的に行うことです。
どんな行動でも感謝の心を持って行うこと。
普段の生活、行動全てがカルマヨガです。
それはまた「今」を受け入れ、今この瞬間に生きることが自分の束縛を解き、自己を浄化することになるのです。
((小声で付け加えておくと、過去のカルマの解消にもなるそうだよー。))
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