2016年12月3日(土)チェンマイ南の郊外にある「うさと」にて、インド出身の英国の思想家であり平和活動家、エコロジストのサティシュ・クマール氏のお話し会がありました。ここチェンマイで、本当に間近な感じでお話しがきけて実に幸運なことでした!
(いつものことだけど)仕事が詰まっているので、今日のお話しの中から、新鮮なうちにひとつだけ、簡単に載せておきます!!
恐れについて
質問者:
ずっと大した恐怖感を抱くことなく今まで生きてきたのですが、父の病気がきっかけで、根拠のない恐怖感に襲われるようになりました。この恐怖にはどう対応したらいいのでしょうか。
クマール氏の答え:
恐れが出てきたときは、自分自身に尋ねてごらん。
「何を怖がっているの?」と。
恐怖は幻想であって現実ではないのです。
昼間、森の中の中を気分よく散歩します。
夜出かけてみれば真っ暗闇ですが、同じ森ですよね。
恐怖は観念に過ぎません。
ですから自分に聞いてみてください、何が恐いのか?と。
自分に何が起こるのだろうか?
人は宮殿でも死ぬのです。
心地よいベッドでも森の中でも。
しかしそれはどうでもいいことです。
死とは重視すべきことではないのですよ。
あなたがどうこうできることではないからです。
どのようなことも起こりうるし、あなたはそれを知る由もありません。
死の99%は問題なく起こります。
問題と思われるのは残りの1%だけ。
なにか上手くいかないこともあるでしょう。
その1%の死のために、もしかしたら上手くいかないかもしれない1%のために、生涯恐怖の中に生きていくというのでしょうか。
1%のうまくいかないかもしれないことのために恐れ、一生恐れと共に生きていくほうがいいのですか?
恐れは幻想に過ぎません。
自分に話しかけてみましょう。
わたしは信頼することができる、と。
信頼することができる、と言った瞬間、本当に信頼できるのです。
信頼する力がある、信頼する可能性がある・・・。
信頼できるということを確固たるものにします。
すると信頼できるものなのです。
そうしたら今度は、わたしは信頼されている、と言ってください。
信頼されている、信頼されている・・・
その言葉をあなたのマントラにしましょう。
自分が恐れに囚われているなと感じたら、マントラを繰り返し言ってみましょう。
ワタシもサティシュさんに質問したかったのだけど、質問の受付(進行役の案内)がタイ語ばっかりでタイミングを逃したのと、恐れにどう対応するかと質問した人への答えが、わたしの質問にも当てはまるのではないかと思い、記しておこうという次第でございます。
ちなみにわたしがしようとした質問は以下の通りです。どうでもいいかもしれないんだけども、参考のため(ってなんの参考だかしらんけど)。
このカオス的な世の中で内なる平安を保てるようになるにはどうすればいいでしょうか。日々瞑想していて否定的なことに囚われないようにはしているものの、様々な要因で(家族のことから311後の日本のこと–特に原発–や世界情勢など)いとも簡単にあっけなく心の平安は乱されます。
Facebookに寄せられたコメントから
いやー目から鱗というか、意識の壁が一枚崩れた体験をしました。ブログにオマケのようにして書いたわたしの疑問。FBのコメント欄とダイレクトメッセージに寄せて頂いた答えが素晴らし過ぎる。彼等の洞察力にあらためて敬意を表します!わたしの友達ってすごい!
世界で起こっていることは、皆、思考で行動している結果起きていることなので、瞑想の時に思考に対して行うことと同じ事を世界に対して行うといいと思います。つまり、
○感情や思考を介さずに見る。
です。すると全ての出来事はただ起こっていることになり、恐怖は無くなります。よ。
で、恐怖の感情や悲しみの感情が起こっても、それもただ、見るか、関わらずに放っておきます。するとやがて無くなります。この世は幻想というか、証明できないもの、確実でないものと理解すると分かりやすいかもしれません。実際に実験をしてみるといいですよ。例えば、机の上に手を置いて、目を瞑ります。今までの常識や思考を忘れて、さて、今、手の下にあるのは何か?に答えてみて下さい。
S.S さん(女性/職業:映画監督/アドヴァイタ系筋金入りの瞑想者。知識人!何でも知ってる!)
まさに幻想。311も、直接、今、五感で感じられて目の前にあるなら、リアルだろうけど、テレビの中しかも、過去だから頭の中。だったら、やっばり、まぼろし。直接五感で感じられるものと、テレビ、ニュース、過去のことで、今は頭の中のものを分けるようにしたら解決しました。私はね(^。^)
A.N さん(女性/職業:瞑想教師/某瞑想孤高の教師w いつも的確、無駄がない!)
恐れそのものが幻想だと思います。怖いホラー映画を見たあとでも美味しい食べ物屋さんで楽しく語り合えるように、まさに怖い映画を見なければ何も見えないのです。好き好んでホラー映画を見るのですから、楽しい映画も見ればいいのです。それは善悪の問題でも責務の領域でもありません。恐れに対して自由な選択肢を持つことです。ホラー映画を自由意志で見るように!全ては舞台や映画の場面に用意されているセットなのです。
E.S さん(爺/職業:画家/30年前にわたしにシャーリーマックレーンの本を紹介してくれた人。出会いはアフリカ。)
↓こちらはまさにサティシュさんの声が聞こえてきそうなコメントでした!今回のお話しの中にも「柔軟にしなやかであれ」「統合」という言葉が何度もでてきたし!
お話し会の感動とゆかさんと話したあの場面が蘇ってきた〜
サティシュの著書の中で『核兵器が生まれた文化が持つ二元論的で物質主義的発想を問題にしなければ同様に危険なことが起きる。』とあったけど 今回サティシュと話して これは『separation ではなくてunity 。straightではなくてwinding 。という考え方で日々の生活を大切にしていく』ことがキーなんじゃないかなって 思った。ゆかさんの質問の答えの何かがあるかな…?M.W さん(女性/職業:うさとコーディネーター/いつも素敵。多分同い年だけどずっと姉さん的。もっと知り合いたい女性)
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