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Om Lokah Samastha Sukhino Bhavanthu

タオ的宇宙観(1)

 
Posted on 2016年5月11日 (水) 8:32 pm
Filed under スピリチュアル

アラン・ワッツが示す命のバランスを保つためのタオイストの原理

中国の考え方やフィーリングには、どれもその根本に反対または対立の観念とは混同されない2極性の原理が横たわっている。
他文化のメタファーでは、光と闇、生と死、善と悪、そして肯定と否定などは不和の状態にあり、それゆえに前者を育み、後者を取り払うということが、世界中の殆どの場所において繁栄している。

伝統的な中国の考え方からすると、これは陽と負の極がない電流と同じくらい不可解なことである。
2極性はプラスとマイナス、北と南の原理であり、ひとつのそして同じシステムの異なる側面なのだ。
そしてどちらが消失しても、それはシステムの消失となってしまう。

直線的な観念形態

キリスト教やヘブライ教の息吹がかかったオーラの中で育った人々にとって、こういうことはもどかしく感じられる。
なぜなら、彼らの時間と歴史に対する直線的な視野(環性とは異なる)から流れる理想では、それがどんな進歩の可能性をも否定しているように見えるからだ。
実際、西洋の科学技術の事業はみな、苦しみなき喜び、貧困なき富、病いなき健康を得るべく「世界をより良くするために」というものである。

われわれは、理解不可能な込入った関係性のシステムに干渉されてきた。
詳細を学べば学ぶほど、学ぶべくさらなる詳細がまだまだあることを明らかにしていくことで、われわれを巧妙に受け流す。
われわれが世界を理解しコントロールしようとすると、それはわれわれから逃げていく。
この状況にイライラするのではなく、タオイストはそれがどういう意味なのかと問うだろう。
追求の際に常に後退するのは何だろう?
答えは自分自身である。

理想主義者たちは(言葉の道徳観においての)、支配下に置く必要のある外部オブジェクトのシステムとして、自分自身とは異なる分離されたものとして宇宙を見なす。

タオでは宇宙を自分たちと同じか、または分離不可能なものとして見る。
老子はこう言うだろう。
「家を離れずとも、私は全宇宙を知っている」と。
これは人生のコツは反目ではなく、風、潮、流れ、季節、そして成長と衰退の原理を理解することが重要なナビゲーションなのではないかということを暗示する。
対立するのではなく、それらを利用することができるように。

この感覚では、タオイストの姿勢は科学技術に反対するものではない。
実際、荘子が書いたものは手工業や「木目に沿って」的な原理によってマスターされた技術を数多く参照している。
従って、科学技術は、自分たちが宇宙とひとつであり同じプロセスであることに気付いていない人々の手中にあるときのみ破壊をもたらすということである。

((翻訳練習))

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