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From understanding comes love. 〜Rumi

「いまここにある」ための4つのマントラ

 
Posted on 2016年1月14日 (木) 11:12 am
Filed under スピリチュアル

ティク・ナット・ハン

単純なマントラが苦しみを乗り越えるのに助けになる。

誰かを愛するときは、その人のために真にそこにいなければならない。ある知り合いの10歳の男の子が誕生日に何が欲しいかと父親に聞かれたのだが、なんと答えていいかわからなかったそうだ。男の子の父親はかなり裕福で、彼が欲しいものならほぼなんでも買ってあげることが出来るであろう。しかしその若者はただこう言った。
「お父さん、僕はお父さんが欲しい!」
と。父親はとても忙しく、妻や子供達と過ごす時間がなかったのだ。真実の愛を行動で示すには、われわれは自分たちが対応できる状態にしておかねばならないのだ。その父親が意識的に呼吸することを学び、息子のためにそこにいるならば、彼はこう言うことが出来る。
「息子よ、私はおまえのためにしっかりとここにいるよ」
と。

他人に対してしてあげられる最も素晴らしいギフトは、われわれがそこにいるということなのだ。「あなたのためにここにいるよ」という言葉は、完全に意識を統一して声にだすマントラである。

統一すると(マインド・身体を共に)、本当の「存在」を作ることになり、あなたが何を話してもマントラになるのだ。

1つのマントラ:「最愛の人よ、私はここにいるよ」

サンスクリット語やチベット語である必要はない。マントラは自分の母国語で話されていい。「最愛の人よ、私はあなたのためにここにいるよ」と。そして本当にあなたがそこにいるならば、このマントラは奇跡を生み出す。その瞬間、あなたも他人も、そして人生も本物になるのだ。自分自身にも相手にも幸せをもたらす。

「私はあなたのためにここにいるよ」

2つめのマントラ:「あなたがそこにいるのは知っている。私はとても幸せだ。」

「あなたがそこにいるのは知っている。私はとても幸せだ。」がふたつめのマントラだ。月を見上げるとき、私は深く呼吸をしてこう言う。
「満月よ、あなたがそこにいるのは知っている。私はとても幸せだ。」
と。夜明けの明星にも同じことをする。昨年の春に韓国で、木蓮の木々の中をマインドフルに歩きながら、木蓮の花をみて
「そこにいるのは知っているよ。私は幸せだ。」
と言った。今ここにいて、また他の存在もまたそこにいることを知るのは奇跡である。素晴らしい落陽が完了したとき、あなたが本当にそこにいるならば、深くそれに気付き有り難く感じるだろう。落陽を眺め、とても幸せだと感じる。あなたがいまここにあるとき、その他の存在にも気付き感謝することがきるのだ。満月、北極星、木蓮の花、またはあなたが最も愛する人・・・。

まず自分自身を回復させるために深い呼吸を実践することだ。そして大好きな人の近くに座り、深く意識を統一した状態で、ふたつめのマントラを口にしよう。あなたが幸せならば、同時にあなたが愛する人も幸せなのだ。これらのマントラは日常的に実践していく。真の愛の人になるには、本当にここにあることを実現させるため、呼吸、座ること、歩行などをマインドフルに行なうことを実践しなければならない。

3つめのマントラ:「最愛の人よ、私はあなたが苦しんでいるのを知っている」

3つめのマントラは「最愛の人よ、私はあなたが苦しんでいるのを知っている。だから私はいまここにいるんだよ」だ。

マインドフルであれば、あなたが愛する人が苦しんでいるのに気付くものだ。苦しんでいるときに愛する人がその苦しみに気付かずにいると、さらに苦しくなってしまうだろう。深い呼吸をしたら、大好きな人の傍に座ってこう言おう。
「最愛の人よ、私はあなたが苦しんでいるのを知っている。私がここにいるからね」
あなたがそこにいてくれるだけで苦しみの多くが和らぐだろう。あなたが若かろうが年をとっていようがかまわない。あなたにはそれが出来るのだ。

4つめのマントラ:「最愛の人よ、私は苦しんでいる。どうか助けて。」

4つめのマントラが最も難しい。これはあなた自身が苦しみの中にあり、あなたが愛する人がその苦しみの原因になっていると思い込んでいるときに実践される。そのマントラは「最愛の人よ、私は苦しんでいる。どうか助けて。」だ。たったこれだけだが、多くの人がハートに宿るプライドのためにそれを口にすることが出来ない。もし相手がこれを口にしたりすれば、あなたはそれほど苦しまないものの、それがあなたが愛する人であるがゆえに、深く傷つくのである。部屋に戻って泣きたくなるだろう。しかしあなたが本当にその人を愛しているならば、そのように自分が苦しんでいるときは助けを求めねばならない。プライドを乗り越えねばならないのだ。

帰郷

私の国でよく知られている話がある。夫が妊娠した妻を後に残し戦争に行かねばならないという話だ。3年後に夫が除隊になり家に帰ってきた。妻は小さな息子を連れて村の入り口まで彼を迎えに出た。夫と妻が再会したとき、二人とも喜びの涙をこらえることができなかった。彼らを守ってくれた祖先に深く感謝をして、祖先の祭壇にお供えするため、若者は妻に市場にいって果物や花やその他のお供えものを買ってくるように頼んだ。

彼女が買い物をしているとき、若い父親が息子に自分を「お父さん」と呼ぶように言ったが、男の子はそれを拒否した。
「あなたはぼくのお父さんじゃありません!ぼくのお父さんは毎晩うちに来て、お母さんと話したり泣いたりしたものです。お母さんが座れば彼も座る、お母さんが横になれば彼も横になりました」
これを聞いた父親の心は石となってしまった。

妻が帰宅しても彼は彼女を見ることもしなかった。若者は果物と花と線香を祭壇にお供えし、ひれ伏すと、その座布団を丸めてしまって妻には礼拝をさせなかった。彼は、彼女が祖先の前に出ていく価値はないと思い込んでいたのだった。妻は深く傷ついた。彼がなぜそのようなことをするのか理解出来なかった。彼は家に留まらず、日々村の酒屋で過ごし、夜遅くまで家には戻らなかった。ついに3日経って、彼女はもう我慢が出来なくなり、川に身を投げ溺れてしまった。

その夜、葬式の後、若い父親は灯油ランプに火を灯すと、小さな息子が大声で言った。
「お父さんがいる!」
壁に落ちた父親の影を指差してこう言った。
「ぼくのお父さんは毎晩こんな風に家に来て、お母さんはお父さんと話をしてたくさん泣くんだよ。お母さんが座ればお父さんも座る、お母さんが横になればお父さんも横になったよ」
「愛する人よ、もうずっと留守ね。どうやって私に子供を一人で育てろと?」
そう言って彼女は自分の影に向って泣いた。
ある時、子供が母親にお父さんはどこにいるのかと尋ねた。母親は壁に写った自分の影を指差して
「これがあなたのお父さんよ。」
と言った。夫がいなくて彼女は本当に寂しかったのだ。

突然、若い父親は理解した。しかし遅過ぎた。昨日妻のところに行って
「愛する人よ、私はとても苦しんでいる。息子が毎晩家に男が来たものだと言うのだ。そしておまえがその男と話をし、共に泣いていると。お前が座れば男も座るという。この男は一体誰なのだ?」
と聞けば、彼女は説明する機会を得て、悲劇を避けることもできたのに。しかし彼の中にあったプライドのせいでそれをしなかったのだ。

女性も同じだ。彼女は夫の行動で深く傷ついていた。しかし彼に助けを求めなかった。
「とても辛いの、どうか助けて」
「あなたが何故私を見ないのか、何故私と話をしてくれないのかわからないの。ご先祖様に礼拝させてくれないのは何故なの?何か間違いを犯してしまったのかしら?」
という4つめのマントラを実践すべきだったのだ。そしていれば、息子が何を言ったのか話していただろう。でもそうしなかった。妻もまたプライドに囚われていたのだ。

真実の愛の中には、プライドが存在する余地はない。どうか同じ罠に陥らないで欲しい。自分が愛する人によって傷つけられたならば、あなたの苦しみの原因があなたが最も愛する人によってもたらされたと思い込んでいるならば、この物語を思い出してほしい。男の子の父親や母親のような行動はとってはいけない。プライドに邪魔をさせてはならないのだ。「とても辛いの、どうか助けて」という4つめのマントラを実践しなさい。その人が自分が今生もっとも愛する人だと本当に思うなら、実践しなければならない。相手があなたの言葉を聞けば、その人は自分に戻り深く見ることだろう。そうすれば二人で色々整理し和解し間違えた認識を解決することもできるだろう。

The Four Mantras of True Presence
By Thich Nhat Hanh on Wednesday December 30th, 2015

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