スピリチュアルで音楽・料理好きなおっさんレディがチェンマイから発信するしょーもないブログっす
From understanding comes love. 〜Rumi

二人の僧侶の話し

 
Posted on 2015年3月23日 (月) 7:49 am
Filed under スピリチュアル

ラオスの小学校にいたお坊さんたち

瞑想のレクチャーでよく登場する禅のお話し。

二人の僧侶が旅をしていました。
ある時、急流の川のほとりに辿り着きました。
その川を僧侶たちが渡ろうとしていると
ひとりの若くて美しい女性が川を渡ろうとしているのが目に入りました。
若い女性は
「川の向こう側に行きたいのですが、
どうか助けていただけませんか?」と
僧侶たちにたずねました。

女性に触れないという誓いを立てている僧侶には
これは困ったお願いです。
女性は助けたい、でも触れちゃいけない・・・。

すると、何も言わずに
年配のほうの僧侶が女性をヒョイっと抱き上げ
彼女を担いで川に入り、
向こう岸に到着すると、そっと彼女を降ろしました。
そしてそのまま、何もなかったように旅を続けました。

若いほうの僧侶は、
年配の僧侶がしたことが信じられませんでした。
後から彼に追いついたものの、
どう声をかけていいかもわからず
無言のまま歩き続けました。

何時間もたって
悶々と歩いていた若い僧侶がもう我慢ならなくなり、
ついにこう訴えました。
「僧侶たるもの、女性に触れてはならないのに
その女性を肩に抱いて運ぶとは、
一体何事でしょうか?
あなたは神聖な誓いを破ったのですよ。」と。

年配の僧侶は彼をみてこう答えました。
「兄弟よ、私は川を渡り、彼女を岸に降ろしたではないか。
お前はなぜまだ彼女を抱いているのだ?」

 

シンプルな禅のお話しですが、
今を生きるということに関しての素晴らしいメッセージが含まれていますね。
ルールに執着して柔軟性がなく
結局は自分を傷つけている若い僧侶。
私たちは、どれだけ過去に傷ついたことを忘れずにずっと背負い続けているか。
その憤りをなかなか手放せないとき
今起きていないことで、
自分自身を何度も繰り返し傷つけつけていることになります。

人に心ないことを言われて悲しかったり、
また裏切られて傷つくことなどを体験してこそ普通の人生。
生きるということでデフォルトで付いてくる体験なのでは。
過去の辛い事象に思いを巡らすという選択をしてしまうと、
エネルギーの消耗になるだけし、気分だって落ちっぱなし。
しかもこういう思考傾向って中毒性があるらしいから
油断も隙もあったもんじゃないっす。

今自分に与えられた状況の中で
平安や幸福を見いだしていきたいです。
過去にも未来にも、
いつだって私たち全員に平等に与えられているものは
「今」だけなのだから。

突発的に湧き上がってきちゃったようなときは
まあしゃあない。
押さえ込むのも不健康だわよ。
隠れていたものが出てきてくれたのだと開き直って受け入れよう。
で、ジっと感じきったら、適当なところで切り上げて
とっとと先に進みましょう。

気分の切り替えには
大好きな音楽を聴くとか、
ニャンコをモフモフするとか
孫の写真を眺めるとかw
自然の中に出てみたり、
ガヤトリマントラを頭の中で(または声に出して)
スっとするまで唱えるとええよーー。

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