アフリカへの憧れ
当時のワシは筋金入りの現代音楽やプログレロックねーちゃんだったくせに、ソウルなディスコに入り浸っていた。ウオークマンに入っていた音楽はメシアンとかフランス世紀末だのフィリップ・グラスだったり70年代のプログレやユーロ・ロックだったりしつつ(あの頃から変拍子や無調だの連続転調だの全音音階だのに萌えるワシだったのだ。)それなのに黒人音楽がガンガンに響く場所にせっせと通い、惹かれたのは、子供の頃から抱いていたアフリカへの憧れを根っ子としておって、音楽の原点への好奇心だなあ。結局ソウル系ディスコに入り浸った数年は、ワシを実際にアフリカへ旅立たせる原動力/ステッピングストーンとなっていたのかもしれん。そして、音楽を身体で聴くということに対して本能的に感じはじめていたこともあって、ディスコでのガンガンに身体に響く音の中、何か耳以外の五感で音楽を体感したかったっつーのもあるな。
アフリカの闇で体験した音
赤坂や六本木のソウルな夜を思い出すとき、アフリカの乾燥地帯での静寂の中で、遠くから底知れぬ闇を貫いて神秘的に響いてきたトーキングドラムの音が、対照的に記憶に蘇る。自分の存在さえも、闇に吸い込まれていきそうな、月明かりさえなかった新月の漆黒の夜。半砂漠地帯では虫やカエルの声もしない。そこに突然響いてきた対話するドラムの音に人間の愛と暖かみを感じ取り、胸が張り裂けそうになるくらい感動した。完全に孤独だったはずのアフリカの暗闇の中、ドラムの音に乗って突然流れ込んできた暖かい感覚は、一気に自分を孤独と闇と静寂の恐怖から解放してくれた。
するとドラムの音が消えると同時に、あり得ん程の満天星が一斉にざわめき始めるではないか。実際に星々の音を耳で聴いたわけではないが、見事な静寂の天空のシンフォニーが顕れ、確実にワシの中に圧倒的な密度を伴って流れ込んできたんである。静寂の音は、本当に静寂の中にあるときに聞こえてくる。
その後、音に対する感覚が研ぎすまされた気がする。気のせいかもしれんが笑
あのドラムの音は、静寂の中にあるとてつもないエネルギーとしての音(振動)を感知するスイッチのような役割を果たしたのかもしれない。
アフリカ滞在はただブラブラしてだけで、どういうこともない人生の1セグメントであるとは思っているものの、よくわからなかった中でも、21歳というまだ若いうちに宇宙の本質にほんの一瞬でも触れたような体験が出来たのは、実に幸運としか言いようが無いと感じたりするわけだ。
なあんて、勝手に無責任な解釈をして自己満足の世界に浸るワシ。おほほ。
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アフリカから帰国してから、早速かつての遊び場へ戻ってみると、これが面白くもなんともなくてねえ。まあ年齢的・体力的なこともあるとは思うが、まったく熱くなれず退屈だったんですな。あの体験以来、ソウル音楽とワシの心は共鳴しなくなってしまったらしいっす。
またいつか一人でアフリカへ行きたいもんですな。
ちなみに、夜遊びしていた場所は、赤坂はムゲン、六本木のエンバシー、QUEEなど。毛色は違うけど、新宿のツバキハウス、赤坂のビブロス。同世代、すれ違ってた人いるかしらん?(^^)
Comments
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ひゃーーー、懐かしいぜいっ!ツバキハウス、ムゲンエンバシー、QUEE!!横浜のサーカスも忘れてもらっちゃ困るぜ。
>ソウル音楽と黒人たち、そこに群がるお姉ちゃんたち
え?もしかして遭遇してた?
それにしても懐かしゅいなぁ〜。たまにMy Discoコレクションで楽しんだりするが、身体は昔のようには動かぬ。腰にくるんでのぉ・・・。
ああ、横浜までは行かなかったなあ。そうなんだよ、密かにcat姐と遭遇してたんじゃねーかと考えながら打ち込んでましたっす(^^) でもムゲンなんて一時期常駐してたし!
ワシはあの当時の音楽を選んで聴くことはないけど、たまにどっかで流れてるのが耳に入ってきたりすると、瞬時に記憶が甦って懐かしくなるっす。温度や臭いまで思い出したりするよね。