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Asato ma sad gamaya, Tamaso ma jyotir gamaya, Mṛtyorma amṛtam gamaya, Om shanti shanti shantiḥ

アニータ・ムアジャーニの講演から(1)

 
Posted on 2015年8月3日 (月) 4:14 pm
Filed under スピ動画に訳

 

アニータ・ムアジャーニのDying to Be Me (邦題:喜びから人生を生きる!―臨死体験が教えてくれたこと)は、2014年の春にちょうど義母が亡くなったときに絶妙なタイミングで瞑想者さん(加賀美あつこ先生ありがとう!)がくださった本でした。ウエイン・ダイアー博士が彼女の話しをしていたので、ずっと興味があったのだけど、出逢いというのは本当に縁だなあと思ったね。60年以上連れ添ったパートナーを失った義父にもこの本(もちろん英語版)もプレゼントできました。今となっては、夫を突然失った私にも、折に触れて彼女の言葉が心のよりどころになっています。

さて、その本の著者、死の淵から蘇ったというアニータさんの講演動画がネットにあったので、彼女の英語が本当に簡単で分かりやすいこともあって、そのまま聞きながら直接翻訳してみました。実はまだ半分くらいしか完了してないのだが、1時間半と長いので数回に分けて少しずつ載せようと思います。実はこれ、去年書き留めていったトランスクリプトだけど、ずっと中断してたのだが、こうして載せちゃえば、続きをやる意欲も出るかと(笑)

((パート2デマシタ。【アニータ・ムアジャーニの講演からパート2に続く】))

大事な人を亡くされた方は特に見てほしいなと思うんだけど、そうじゃなくてもお勧めです。アニータさんのお話しの肝は、臨死体験談や末期癌が消えたという奇跡話ではなく、本来生きるということがどういうことなのかを気付かせてくれるものだからです。

オリジナルのビデオはこちらです。
Anita Moorjani: Dying to Be Me

 


今日は来てくださってありがとう。
多くの皆さんはご存知だと思いますが、私は今生きているはずがなかった人間です。皆さんと一緒にここにいることができて嬉しいわ。私の最後の日は、2006年の2月2日のはずだったの。その日、お医者さまが私は死ぬとおっしゃったんです。家族にもそう伝えられました。私は末期癌で死の床にあったのです。悪性リンパ腫でした。4年間悪性リンパ腫と戦っていました。4年経って、癌は全身に転移しました。まず、首から始まり、あちらこちらに腫瘍ができたのですが、その多くはレモンのサイズくらいありました。首の付け根から始まって—-(投げキッス:知ってる人がいたの。世界の裏側から来たのよ、彼ら!スペインから!ありがとう〜!最前列ね、びっくりしたわ!)—-というわけで、レモンのサイズくらいの腫瘍が、首の付け根から始まり、首の周り、腕の下、胸の周囲から腹部まで転移しました。それだけでなく、首の横にはポッカリと大きな傷が開いていて、そこから体内の毒がゆっくりと漏れ出していました。肺には水が溜まっていて、横になると肺の中の自分の水で息が出来なくなってしまうため、真っ直ぐ横たわることも出来なかったの。いつも寄りかかっている状態だったわ。筋肉はすっかり痩せ衰えてしまって、まるで骸骨のようで、きちんと歩くこともできなかった。脚には身体を支える筋肉が全然付いていなかったものだから、数歩歩くと疲れ果ててしまって。なので移動するときは車椅子でした。それから酸素吸入器にも繋がれていたわ。それから病院がとても嫌だったので、自宅でのケアを受けていたんですね。パッチ・アダムスもおっしゃっていたけど、病院ってとても気持ちを落とす場所よね。私だったら、入院時よりさらに悪くなるわ。だから病院からは出来る限り早く退院したく、家でフルタイムの看護を付けてもらっていました。でも病院へは治療のためにしょっちゅう常に出入りをせねばならなかったわ。

2月1日の夜、もう本当に苦しくて、呼吸困難に陥り、咳がでて、息が詰まって、眠れないし、疲れていて起きてもいられない。眠ろうとすると息が出来なくて目が覚めてしまうの。起きてもいられないし、眠ることもできなかった。そしてついに諦めてしまったのね。私は生きようとして戦ってきたわ。命を留めておこうと、本当にずっと戦ってきたの。でも、あの夜、もう十分に戦ったじゃないって思ったの。あの状態で地獄のような生を生きるなら、それはもう生きる価値のあるものではないと思って、降参したのです。完全に委ねました。すると、なんと眠ることができたのです。2月1日の夜のことです。

2月2日の朝、私は目を覚ましませんでした。私は昏睡状態になっていて、夫が…私のすばらしい夫のダニーが起きて、私を揺るがして起こそうとしたのです。でも私は目を覚まさなかった.夫はパニックをおこしてしまって主治医に電話をしました。主治医はすぐに私を病院に連れてくるように言いました。大急ぎで病院に運ばれ、ドクターが私を見てまず夫に伝えたことは、私が最期の時を迎えているようだということだったのです。既に内臓の機能は停止しており、もう昏睡状態から回復することはないだろう、と。

でも、私には周囲の人たちのことがわかっていたのです。自分の周囲で起きていること全部、聞こえていたし見えていたし、感じられたわ。そして、私は物凄く素晴らしいフィーリングを感じていたの。実に素晴らしくて、もう完全に全く肉体に捕らわれていなかった。そして周囲で起きていることは全部わかっていました。すべてが見えていたというのではなくて、すべて「自覚」していたという言い方のほうがフィットするかもしれません。見えてはいるのだけど、それは普通の視覚的な視野ではなかったわ。通常視覚を使って見ると、焦点を当てて見ますよね。こちらを向けばあなたが見えて、あちらを向けばあなたが見えて、と。「自覚する」というのは、それとは少し違うんですね。ここのすべてを見て感じることが出来たの。まるで360度の周辺視野があるように周りが見えて、遠くで起きていることの音も鮮明に聞こえてくるし、私の視野や聴覚は壁があっても遮られることはなかったわ。壁の向こうの方の音も聞こえたし、見えていたのね。それが「自覚」というものです。もう身体には捕われていませんでした。そしてずっと自分の肉体は病院のベッドに横たわっていることも自覚していました。でも私は本当に素晴らしく壮大な、信じ難いようなフィーリングを味わっていたの。そして自由だった!解き放たれていて、軽くて・・・。自分の肉体のほうは、その時に体験していた感覚と比べると、あまりにも取るに足りないものに見えたの。実にちっぽけな身体が横たわっていたわ。

そして、自分が絶対なる無条件の愛に包まれているのを感じました。信じ難いような愛のフィーリングがあって、いまだかつて人生であんな風に愛を感じたことはなかったわ。私は生涯、自分が何者であるかを証明しようとしてきたの。愛を受けるにふさわしい人になろうと。でもあの時は、私がそこに存在しているというだけの理由で完全に無条件に愛されていたのよ。自分を証明するために何かをする必要もなかったし、誰にならなくてもよかった。ただ、存在しているだけで、愛されていたの。本当に信じ難いようなフィーリングだったわ。無条件の愛って言葉を使ったけど、無条件という言葉では、あの感覚を描写するには力不足過ぎる。愛という言葉は乱用され過ぎていると思うのです。後でもう少しそれについてお話ししたいと思っているのだけど。

無条件という言葉も冗長的だと感じているの。だって、愛には条件など付かないのだから。愛が条件付きだったら、それは愛ではないでしょう?それでも無条件という言葉を使う必要があるように感じるのは、愛という言葉をみんなが誤解しているからなの。使い方も間違っているわ。私が感じた愛は、自分が存在しているというだけで価値のある人間であると感じたことだったのです。他に理由はありません。そして壮大な広がりを感じ、私の気づきの中にいるみんなが繋がっているように感じられました。まるで私が彼らとひとつになったような感覚だったわ。完全に1つなの。夫が感じていたこと・・・夫は看病で私の肉体の横に座って手を握りながら、私が戻ってくることを願っていたのだけど、それを私も自覚していました。すぐ傍らにいて看護してくれていた母が感じていたこともすべて感じていました。さらにはドクターや看護婦さんが感じていることにも気付きました。彼らが話していることは全部聞こえていたし、感じていることも全部感じ、そして彼らがしていることはすべて私にも見えていたのです。私の肉体のほうは窒息してしまっていて、医者が私の背中に注射針を指して水を抜いたりしていたわ。その治療を全部見ていたの。

それから、私の兄が自覚に入ってきました。これは香港の病院で起きたことですが、私の兄はインドに住んでいて、その朝は、私の家族の誰もまだ彼には私が昏睡状態に入ったことは連絡していなかったのです。でも私たちが皆繋がっているという、このワンネスの感覚の中で、兄へも繋がったことが私にはわかっていました。兄は朝目が覚めて、何かが変だと感じました。後で兄が教えてくれたのだけど、その朝、何かがおかしいと感じて泣きながら目が覚めて、とにかく香港へ行かなければと思ったそうです。彼はオンラインでチケットの予約をすることもせず、直接空港へ向いました。そしてそのまま香港へと旅立ったわけですが、空港へと車を走らせているときに、夫が携帯電話で私が危篤状態であることを伝えようと彼に電話をしたのです。どういうわけか、もう兄はその時には何かがおかしいことを知っていて,香港まで真っ直ぐ飛んでくることが出来ました。

私は30時間ほど昏睡状態にありました。でも、あの領域では、時間が随分違うんです。30時間の昏睡状態であったわけですが、もっと長く居たような感覚があります。
私が見たこと、感じたこと、耳にしたこと、理解したことが、普通だったら、何年もまたは生涯かけて理解するようなことだったのです。時間が何か圧縮されたような、、または時間が全部同時に進行しているような感覚です。私たちの時間の体験の仕方といえば、1点1点ずつ引き延ばされて、直線的な時間になっているでしょう。でもあの領域では、時間がすべて同時に見えるのです。とても分かりにくいことだと思うので、こんな風に説明したいと思うの。あの領域では、クリスタルのようにクリアーなのです。完全に明瞭な空間で、時間をすべて一度に見て自覚することができるの。あれほど明瞭なビジョンを見ることはなかったわ。でもそうお話ししても、この領域ではとても分かりにくいと思うの。私たちは、1度に1点ずつの時間しか思い描くことしか出来ないからです。私の体験をシェアするときに、ある比喩を使うのがお気に入りなの。何が起きたかということを表現できる言葉が英語にはないからです。だから比喩を使って、私がいた気付きを視覚化していただこうと思っています。

では、想像してみて。
後ろの壁に、巨大で色彩豊かなタペストリーがあると想像してみてください。とても複雑だけど、とても美しい図柄が描かれているわ。それがここに掲げられていると思ってください。私のほうからみると向こうね。その絵はほんとうに巨大なの。ですから、絵から遠ざかるほど、より鮮明にその絵の全体が見えてきます。全体としての絵は、実に美しくて、とても込入っていて、色彩も豊かで、絵を全体で見ると何が描かれているかがわかるの。花や山や滝や野原や家やいろいろなものがあって、絵全体で意味をなしているの。今度は絵に近づいてみます。タペストリーにどんどん近づいていきます。すると視野から外れた周辺はもう見えません。1セクションだけに焦点をあてて見るようになってきますね。自分が見ているセクションは、その部分だけクリアーに見えてきます。布目も見えてくるけど、もう全体は見えません。さらにもっと近づいていくと、そのタペストリーがとても細いシルクの糸で織られていることがわかります。この美しいタペストリーのために、糸がみんな一緒に織られているの。そしてもっとよく見てみると、この複雑で美しいタペストリーを作り上げているシルクの糸、その1本があなたの人生なのです。あなたの人生!そのシルクの糸を辿ってみると、つまりそれは自分の人生を辿るということであり、そこでわかるのは、あなたの人生の辿った道、自分がいたところ、これから向うところ、—これが私が見ていたことなのよ— 私の人生の道ね、自分が通ってきたところ、これから先向うところ、そして他の糸と触れたところもあり、またその人は別の人に触れていき、まだ私が触れていない人や、まだ私に触れていない人もいる。そして、もう既に私と触れ合った人たちがわかるの。そうして1本の糸を見ていたわ。

私が肉体で生きているときは、私はあの1本の糸なの。そしてその糸の1点をその時その時で生きていた。その瞬間に私が体験したことはその1点だけなのです。でも、私がその糸ではないとき、つまり肉体の外側にいるときには、ずっと後ろに下がってみることが出来て、その絵の完全な姿が見えるというわけです。そこで見ているのはなんでしょう?時間、人生、命すべてが同時に進行しているのがわかったわ。すべてが一度に同時に進行しているのを見ていたのです。タペストリーから離れれば離れるほど、自分の人生やそこで起きたことから分離していけばいくほど、そして絵から遠くなればなるほど、あの完成された絵がどれほど完璧かがわかるのです。完成された絵はパーフェクトなの。いつも完全にパーフェクト。複雑だけど完璧なのです。皆さんの糸がそこにあるのよ。そしてどの糸も大事で、目的を果たしているのです。人はみな一人一人重要なのです。どの人もみな、役割を果たしているのですよ。そこから1本糸を抜いてしまったら、タペストリーが台無しになってしまうわ。その糸が長いとか短いとかは関係ありません。つまり自分の命の長さは関係ないわけです。あなたは複雑なタペストリーの一部なのです。そんな風に私は感じました。あのような明晰な領域にいて、すべてを自覚しているわけです。私に接触したすべてには目的があったこともわかりました。そこで理解したのです。なぜ自分がここにいるのか。

あの領域で最初に遭遇した存在は—-私はそこで愛情深い存在に囲まれているのを感じていたのですが—-とても愛情溢れている存在で、そのいくつかは見覚えがあり、いくつかは見分けの付かない存在でした。こういった存在たちはただエネルギーでした。エネルギー的な存在と私の間には分離はありませんでした。そして対話は瞬時に行われました。声を使ってのものではありません。ここ物質界で声を使ってコミュニケーションを取るとき、文を繋げて言葉を使って、1度に一言ずつ話しをします。そしてその文が完了するまでその人の言おうとしていることは理解できません。昨日お話ししたことですが、人と繋がり対話をするために言語を習得したとしても、私たちの多くが、言葉によって他人との距離を広げてしまっているのです。自分の感じていることを隠すために、そして本当の自分を隠蔽するために言葉を使っています。そして人を避けるために言葉を使います。言語がなく、純粋なエネルギーだけで対話は、ただ繋がるだけでいいのです。エネルギーとエネルギー、エッセンスとエッセンスで繋がるのです。そこには誤解は一切ありません。そして対話は瞬間的に為されます。対話する唯一の方法は愛なのです。

そこで最初に遭遇した存在は、実の父親でした。私の父は、私が臨死体験をする10年前に他界しました。両親はヒンドゥー教徒で、私もヒンドゥー教徒として育ちました。そして育ちは香港。香港は文化的には殆ど中国であり、中国人の居住地ですよね。当時私が育った頃は、英国領だったのです。なので、両親は英語を習得させたくて、私は英国人学校に通学していました。ですから学校の子供達の殆どは英国人だったわけです。ですから私は広東語と英語と両親のインドの方言を同時に話していました。2歳の頃から3カ国語を同時に話していたのです。しかし私の両親は子供達がヒンドゥー文化に溶け込んでいくことを願っていました。ですから成長の過程で、両親はヒンドゥー的なことを教え込もうとしましたが、私はもっと英国人学校の同級生たちに溶け込みたかったのです。常にあの学校には自分の居場所はないと感じていたし、実際、子供の頃はひどく虐められたものでした。それは自分がそこに合っていないと感じていたからなのです。人種も文化も違うし、他のどの子とも違っていました。両親がインドに連れていってくれたときも、私は西洋的過ぎて、インド人にもなりきれませんでした。
でも、英国人の子供達と学校にいたときは、皮膚も白くないし、十分に英国人ではないということでイジメにあっていたわけです。そして中国の文化にもフィットできなかったので、本物の不適応者だったのです。生涯を通じて、自分が居るべき場所にいるという気持ちになったことはありません。いつもそう感じていました。

そして年齢が進んだときに、両親が私にお見合い結婚をしてほしいと持ちかけてきました。お見合い結婚に関しては私は反発していました。そして、お見合い結婚が決まると、その結婚式の3日前に私は逃げ出してしまったのです。これは私のコミュニティー・家族・婚約者の家族にとっての、大きな恥となってしまいました。そしてコミュニティー内では、私はわがまま者のレッテルを貼られてしまいました。レッテルはそれ以外にもたくさんありました。両親はコミュニティー内の人々から、もはやインド人男性は誰も私とは結婚しないだろうと言われました。もちろん彼らは私のすばらしい夫のダニーのことを知らなかったのですけどね。彼もインド人よ(笑)まあ彼も社会的な不適応者ですから(笑)社会的不適応者万歳!(拍手)
インド人男性は誰も私とは結婚しないだろうと言われたときは、私もインド人男性と結婚することを拒否するわと言っていました。インド人以外の男性を見つけるわ!と。ですから、両親には、インド人以外の男性と結婚するわと話したのです。でも実は、内側の奥深くで、どこかで自分はどこかおかしいのでないかという思いがありました。他の人の期待に決して添うことが出来ない自分はどこかおかしいのではないかと。いつも努力してきたのにまったく溶け込むことが出来ませんでした。英国文化ともインド文化とも適応しようとしたのに、出来なかった・・・。

(ここまで23分20秒)

ダニーと出逢って、彼が結婚を申し込んでくれた直ぐ後、結婚式の数ヶ月前、父が亡くなりました。
父は、私が結婚で一生を棒に振ったと思っていて、私が結婚する直前に旅立ってしまった・・・。父は私の最も大事な日のひとつである結婚式の日、共にいることができなかったのです。そのことは私を悲しませました。父が亡くなったとき、私が生涯ずっと彼をがっかりさせていたという気持ちが拭えませんでした。私は彼にとって十分インド人らしくなく、女性らしくもなくて、典型的で伝統的なインド人の妻として期待される女性にはなれなかったからです。私は父の期待に沿うことが出来なかったことに対して、いまだに罪悪感を抱いています。

しかし私が別の次元で父と遭遇したときには、ある程度判断されるとか、または許しがあるのではないかと思ったわけです。でも、あちらの世界では、判断されることは一切ありませんでした。判断されることがないので、許す必要もありません。誰かを判断したり許したりするには、まずその人が悪者にならねばなりませんよね。でもそこには判断はありませんでした。私たちが死ぬと、向こう側の世界へと渡ると、身体を脱ぐわけですよね。身体はなくなりますが、他に身体と共に離れるのは何だと思いますか? 性別、人種、マインド、自我、文化、宗教、信念・・・すべてが剥がれ落ちていきます。全部です。社会的なフィルター、生涯かけて何層にも何層にも築き上げてきた社会的なフィルターが、亡くなるときに身体と一緒に離れるわけです。

それでは向こう側に渡るのは何なのでしょう?
何が残っているのでしょう?あなたの純粋なエッセンス、絶対的に純粋なエッセンス、輝き、あなたの目を通して見ている内側にいる神、それが向こう側へと渡ります。それがあなたを肉体を超えた存在にしているものなのです。そのエッセンスは他にはど何があると思いますか?そのエッセンスを神と呼んでも構いません。同じことですから。そのエッセンスは純粋な愛、純粋な無条件の愛なのです。そのエッセンスは、私たち、一人一人であり、私たちはエッセンスそのものであり、そのエッセンスの表現なのです。私たちはみな、一人一人、私もあなたもみんなです。
しかし、肉体を持ってこの世界に来て忘れてしまっていました。ここには性別があり、人種があり、文化、社会的条件付けなど、こうしたフィルターを通して、私たちは信念を何層にも何層にも重ねていくわけです。そして、このフィルターを通して私たちは世界で活動していきます。こうした信念を通して行動していく・・・。人と対話するときにも、何層にも重なったフィルターを通してコミュニケーションを取っていたり。でもあの次元で理解したことは、父は私を傷つけようなどという意図は全くなかったということ。私が文化の犠牲者であったと感じていたのと同じように、父もまた文化の産物であったのです。私たちはみな、自分が知る限りベストな方法で対応しました。私は父を完全に理解しており、父も私を完全に理解しました。父が私のためにと思ってしていたことは、娘のためにふさわしい男性を見つけるということであって、それが彼の出来る限りの最高の愛を込めた行ないであったことを、そして私を出来る限り純粋で安全な状態に留めておくことで、ベストな相手を見つけることが可能だと思っていたことを、あの領域で理解したのです。彼は本当に心からの善意でしていたのでした。しかし積み重なった層のせいで、誤解してしまいました。間違えて解釈してしまったのでした。そして自分たち自身を分離させてしまいました。そして迫害されたような、犠牲者になったような気分になってしまうのです。でも、彼は愛からの行動だったのでした。それを理解したとき、何も許すことはないということに気付いたのです。判断することも何もないし、許すことも何もない。私から父への判断もなければ、父から私への判断もありません。許すも許さないも一切何もないのです。そこにあったものは、唯一純粋な無条件の愛だったからです。

それから私の親友にも出会いました。姉妹のように一緒に育った友達です。彼女は癌で亡くなっていました。彼女は私の2年前に癌と診断され、彼女の命が消えていくのを目の当たりにし、癌がとても恐ろしくなりました。
ああ、この写真は私のその親友です。一緒に育ったのよ(笑)あなた達から見たら私は外側のほうよ。ここからでは左か右かわからないの。黒い光った上着を来ている方ね。姉妹のようにして一緒に育ったのだけど、二人とも反抗的な不適応者だったわ。私たちは二人ともお見合い結婚には反対で、私がお見合い結婚を潰したときに、彼女が最初にハグして励ましてくれた人だったのです。
そんな彼女が私が癌になる2年前に癌の診断をうけました。私の世界は震え上がってしまったわ。本当に。彼女の癌は悪性でした。私は自分が癌の診断を受けたときに、強烈に怖くなってしまいました。彼女のことを見ていたので、自分もああなるのだと思って・・・。親友が病院で最期の段階にいたとき、もう私には無理だった・・・あまりにも辛くて、もう一緒に傍に居られなかったのです。彼女が亡くなったとき、彼女の妹から電話で彼女の旅立ちのその連絡を受けて、私は完全に崩壊してしまい、罪の意識で一杯になってしまいました。そして、あちら側の世界で、彼女と私は再会し、そこで私が罪悪感を感じることは一切なかったのだということを理解しました。なぜなら、彼女から感じたこと、そして私から彼女へ伝わったことは、ただただ純粋な無条件の愛だったからです。彼女は私を理解していました。どうして傍に居られなかったのかをわかっていました。何もかもわかっていたのです。

それからもう1つ理解したことは、ずっと彼らが私と共にいてくれたということです。私が病いを患っていたときもずっと。
今ここで皆さんに知って頂きたいことは・・・もしあなたが愛する誰かを失っていたとしたら、彼らはまだあなたと共にいるのだということを知って欲しいのです。彼らは決してあなたのもとを離れたわけではないのです。それから覚えておいてください、時間も空間もすべて同時に存在しているということを。つまり彼らは瞬時にあなたと共にいることができる。だからといって、その人を誰かから奪ってきているということではありません。私はそんな体験をしたのです。香港の病院で家族と一緒にいて、そして同時にインドの兄とも一緒にいました。
あの体験から気付いたことは、私の父も私と共にいたし、また彼は母とも兄とも同時に一緒にいたのだということです。

あのタペストリーを思い出してください。すべてを見て全体を自覚することができましたよね。みんなの人生を一度に見渡すことができました。だから、あなたの愛する人を呼んで,傍にいてほしいと願ったり、助けを求めたり、導いてもらったりすることに決して罪悪感を感じないでください。過去の関係から罪の意識を手放せないでいるなら、それは手放してしまってください。彼らはあなたに対して無条件の愛以外の何も感じていないからです。あともう1つ、亡くなった愛する人に関して言えることは、彼らはあなたにハッピーになってもらいたいと願っていることです。本当にそう願っています。あなたにはハッピーで自由でいて欲しい、ブルース・リプトンがおっしゃったように、この地上に天を創造してほしいと願っているのです。ですから、決して罪悪感を持たないでください。人生を過去に起きたことの罪悪感で無駄にしないでください。
(ここまで32分39秒)

アニータ・ムアジャーニの講演からパート2に続く】

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4 Comments for “アニータ・ムアジャーニの講演から(1)”

  • chika より:

    有香さん、ありがとうございます。
    実はわたしもアニータさんの書籍を読んで感動したばかりで、
    今一番今会いたい人です。
    FF瞑想繋がりでまさかこんなに長文の訳を掲載していただいて感激しました。少し最近non-dualとか悟った?ひとたちの話で混乱していたのですが、
    この書籍にすべてが解説されている気がしました。人生を喜びから生きる。
    そして表現する、素晴らしい本です。ほんとに臨死体験の話より、
    生き方としての素晴らしい本ですよね。
    ということでわたしのブログでもFF瞑想でインスパイアされてから絵描き始めました(^_^.)次も楽しみにしていますね~

    • 有香 より:

      CHIKAちゃん、コメント置いてってくれてありがとう!
      ノンデュアリティは真理なんだと頭ではわかっていても、今の時点の自分としては、まだ2元的に別にやっとくこと精進しておくことあるだろうって感じがしています (^^; アニータさんの話し、いいよねーー

  • 陽花(hinohana) より:

    はじめまして、有香さん。

    アニータさんに関する情報つながりで記事を拝見させていただきました。
    長期間に渡る うつ病闘病の終わりの時期に彼女の本に救われ、この1年ほどで今まで無関心だったスピリチュアルの知識もある程度ですが補うことが出来ました。

    これから自分を表現していくために、何度も彼女の言葉に救われるのだろうなと思っています。

    また、この記事の内容を知ることが出来て感謝しています。

    また伺いますね!

    • 有香 より:

      陽花さん(素敵なお名前!)こんにちは!コメントありがとうございました。続きが出せてなくて顔を出しにくいのですが、長い文を読んでくださってありがとうございました。愛する人を次々と亡くしたときに出会ったアニータさんの本。私でも厳しい日々でしたが(まだ続いているかも)その言葉に何度も支えられました。
      読んでくださる人がいらっしゃるのだから、続き、出さないとねえ (^^;


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