スピリチュアルで音楽・料理好きなおっさんレディがチェンマイから発信するしょーもないブログっす
There is nothing outside of yourself, look within. Everything you want is there-you are That. 〜Rumi

グリーフを超えて生きなおすこと

 
Posted on 2015年3月26日 (木) 10:41 am
Filed under ヒーリング

「在る」とは、見えている姿ではない。
「無い」もまた、見えていないことではない。
世界の実存は、世界の中にはない。
(ルーミー)

ブログに久しぶりに復帰してきて、去年から続いている私の大きな変化について、そろそろ記録しておこうかなと思って打ち始めています。こういうことが打ち込めること自体、癒しが起きているということなのだと思うので、今の時点で感じていることを綴ってみます。

2014年は巨大な変化の年となりました。 夫の仕事関係でのストレスに関わる身体の不調と繊細過ぎる娘の体調悪化の不安や、8年暮らした大好きなチェンマイを離れることになった寂しさ、信頼関係崩壊はおきるは、目標実現の可能性が消滅するはなどなど、もう箇条書きにしてリストアップしたいほど(そんなことにフォーカスしてもアホなのでしないけどw)、次から次へとハートが砕けるような体験が続いた1年でした。

そして何より苦しかったのは、1月に姉のように慕っていたチェンマイの親友が亡くなり、4月にはずっと同居した義母が旅立ち、そして8月には28年間連れ添った夫が急逝したことです。夫の旅立ちはまったく突然のことで、またそのタイミングときたら、待ちに待った孫が誕生した3日後・中国への引越の当日・私の誕生日の1日前のことでした。
(ちょうど夫がこの世を旅立った日、私の実の父親が肺炎を悪化させて危篤状態に陥っていたことが判明。その後2週間も目を覚まさなかったそうだ。2014年という年は凄い年だったな)

グリーフ(喪失による深い悲しみ)というのは、怒り、悲しみ、寂しさ、不安、思慕、罪悪感、愛などの感情が全て含まれていることが、こんな体験をして初めてわかりました。まるで感情そのものに命があるようで、アメーバみたいに形を変えながら、時には触手を伸ばして別の感情を捕食したり。あまりにも色々な感情が混ざり合ってカオス状態になっていて、全く理解出来ないし、なんら折り合いも付けられないし、ただ翻弄されるばかり。もうどうすることも出来ないんです。息をしているのがやっとな状態になることさえある。何故自分が生きているのか全く分からなくなったり。

愛する人を失う体験をした人に対して「時間が解決してくれる」とか「明けない夜はない」など、もう軽々しく励ましたり出来ないことがわかりました。私のように命の永遠性を信じているような人間であったとしても、こういうvoidな 暗黒を体験している時に受け入れられる言葉は何も無い、ほんとに。もちろん励ましてくれるのはとても嬉しいのだけど、心に響いたのはそっと傍らで共感し、悲しみに寄り添ってもらえたことだったかもしれない。

自分の魂そのものを吐き出してしまうんじゃないかと思うような勢いでこみ上げてくる寂寥感で圧倒されてしまうとき、そんな苦しみの中で、底知れぬ深い所には確実に暖かみが実在していることに気付くことがあります。昨年からのカオスな体験を通して、その根底にある大いなる流れと根源的なことがようやく実感として分かりかけてきたような気がしてます。

昔、アメリカから引っ越すことが決ってきた頃、このブログのどっかに、変化していくことは新しく生まれなおしてゆくこと、変化があるからこそ美しく、変化があるから命は引き継がれる、なんてことを過去にも自分で打ち込んだではないか。実際、夫にしても別に消滅したわけではなく、その存在状態が変わっただけだし、私が今グリーフとして直面しているのは、この大きな変化への対応なんだよね。

人生でこのような大変化が起きると、人間はついつい大抵抗してしまいがちだ。今までの状態を平和に維持していきたいと思うよね。変化は精神的にも物理的にも大きな負担だからね。

でも、人生は変化の連続で、今回みたいに強烈な勢いで容赦なく厳しく変わっていくこともある。それが宇宙の流れというものだし、それこそ「生きている」ということ、そのものだ。

実際、全てがエネルギーであるユニバースでは失われるものなど何もない。旅立った愛する人たちもペットたちもみな、この物質世界で生きるための要素を脱ぎ捨たのであって、それで肉体としての姿はなくなったけど、このユニバースの一部として存在していることには違いはない。ふとしたときに、それを実感すると、風や陽光や月や花や木や、目に入るもの全てが愛おしくなる瞬間があるんです。

それでも心にはまだ大きな穴が空いていてそこがシクシクと痛みます。瞑想や自然と触れながら愛と光で満たしていこうと思っているものの、一生完全には埋まらないのかもしれないとも思う。狂おしいほど切ないけれど、大好きな 人たちが居た場所だから、 大事に寄り添っていきたいと思っているのね。どん底の辛さの中で知った根源的な暖かさにしても、この穴からじわじわと出てきている気がするのです。その暖かさは故人たちの愛そのものという気がする。ということは、私の深い傷を治すのは彼らの愛なんじゃないかなあ。

それに肉体を持って生きる人間として避けられない辛さを味わいつつも、私は自分の内側奥深くに宿る純粋な真我を知っているから大丈夫。私のベクトルはいつだって 至福を向いています。

夫が旅立つ2日前(病院で認定された死亡時刻だと3日前)に誕生した長男の子供には永続する命の美しさと尊さと悦びを感じています。こうして命は次の世代へと引き継がれていくのね。夫は赤ちゃんと対面するのを本当に楽しみにしていて、誕生のニュースを聞いたときは1日中笑顔が絶えませんでした。名前もたいそう気に入っていて、何度も大きな声で赤ちゃんのフルネームを口にしていました。あの子が彼の誕生を心底喜んでいたおじいちゃんを全く知らずに育つのかと思うと涙が出てくるけど、じいちゃんがどういう人間だったか少し大きくなったら話してあげよう。きっと父親である長男もそうしてくれると思うしね。 いつか夫のドラマチックな人生をまとめたいなあ。百科事典のような頭脳の持ち主だったけど、ちっとも金にはならんかったわ(笑)

2009年7月/ラオスのルアンプラバーンからメコン川の旅での夫。夫と本はセットだった。

最後にこの場を借りてお礼を。
友人たちには本当に本当に救われました。ずっと寄り添ってくれた友達、物凄い勢いで現れて、自分の仕事をみんな 放り出して現実的な手続き(警察・病院・役所・葬儀関係)に走り回ってくれた友人たち、ご飯を作りに来てくれた友達、世界中からのたくさんのカンパ、FBに立ち上がった応援のページ、支えてくれた瞑想の師と仲間たち、速攻でビザの援助を申し出てくれた友人たち、経済的なことを心配してくれて仕事を持ちかけてくださる人、それからただ思いを寄せてくれて声をかけてくれた大勢の友達に、心から、心から感謝してます。
ありがとうございます。この恩と、みんなの優しい心は一生忘れられないです。

なんだかまとまりなくてすんません。

そうそう、この前ね、Twitterには投稿したんだけどね。夜黙々と1人で仕事してたら、何の操作もしてないのに、私のコンピューターのスクリーンの前面に夫の写真が立ち上がったの!!それもお葬式で使ったやつ!なんだっぺか?!ちょっとしたメッセージだよね!しばらく写真相手に色々おしゃべりしてみました(^^)


2015年4月3日追記:娘もグリーフな気持ちをブログに記しています。
Dealing with the “G” word


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