キング・クリムゾン『Islands』—島と海、分離とワンネス

白い小石の海岸に立ち、青いワンピースの人物が海の水平線を見つめている ロック/プログレ
海の前で、境界線の感覚がほどけていく

2014年の8月に投稿した記事を2026年にブラッシュアップして再投稿します。

キング・クリムゾンのIslands が地味? 冗談でしょ。
あれは「派手に泣かせる」んじゃなくて、「深く刺す」タイプの名盤です。

キング・クリムゾンの旧作って、名作が渋滞してるじゃない。
その中で Islands は、どうも「通好み」「地味枠」みたいに扱われがち。……いやいや、これ、宝石です。むしろ静かに致命傷を与えてくるタイプの宝石だよ。

とりわけ、ラスト曲の「Islands」。
その手前に置かれた「Prelude: Song Of The Gulls」からの流れが、もう天才的で、入口の空気が変わる。オーボエの音色が立ち上がった瞬間、景色が音の霧に塗り替えられていく感じがする。

そして私が昔いちばん驚いたのは、あの前曲「Sailor’s Tale」と「Prelude」を、何度も聴いているうちに「え、ちょっとまって!共通する断片あるよね?」って気づいた瞬間。
ぜんぜん違う顔をした曲同士なのに、どこかで同じ素材が、形を変えて回収されている。あの衝撃といったら、奥さん。
(しかも「Sailor’s Tale」が、またカッコいいのなんのって。)

こういう「音楽世界の設計思想」みたいなものに触れると、キング・クリムゾンの精神性に、私はいちいち感心してしまう。

そして歌詞という迷宮(=ピート・シンフィールド案件)

このアルバムの歌詞を書いたピート・シンフィールドは、結果的に Islands を最後にクリムゾンを離れる(というか、フリップに切られる)わけだけど、あの人の言葉は毎度のことながら難解だ。Islands は1971年リリースで、初期クリムゾン(1st〜4th)の歌詞担当としてはここが一区切りになっている。(Wiki参照)

歌詞カードの対訳を筆頭に、ネット上にも「苦戦しながら訳してみました」系がいくつもあって、それぞれ「なるほどね」と唸らされる。
なのに、いまだに私は「わかった!」とは言い切れない。たぶん解けないというより、一発で固定できない詩なのだと思う。

それで私は勝手に、こう考えてしまう。
ロバート・フリップ先生は瞑想や内的鍛錬の話をずっとしてきた人でもあるし、この歌詞も、瞑想で意識の感触を少しでも知りはじめると、「これはただの情景描写じゃないかも」と見え方が変わってくる――気が、してしまうのだ。

もちろん、当時の時代背景として、ビートルズが超越瞑想に惹かれたり、東洋思想が流行としても空気としても入ってきた流れはあった。
でもシンフィールド本人が瞑想していたかどうかは、私は知らない(たぶん誰も断言しにくい)。
ただ、「地中海の旅がインスピレーションだった」みたいな話を聞くと、脳内で勝手に飛躍するじゃないですか。

・・・美しい島で、何か「分離がほどけるエンライトメントな体験」でもしたのかな? とかさ。
(はい、妄想です。)

分離して見えるものほど、深いところでつながっている。——そんな感覚が、この曲にはある。

私的解釈:「島=自我」「海=大いなる意識」説

そんなラスト曲「Islands」。
ここから先は、私の勝手解釈が始まります。

私にとって「島」は「私」であり、つまり自我。
そして「海」は、ワンネスであり、大いなる意識。

島は孤独で、輪郭を持ち、壁をつくって生きている。
海と分離しているように見える。
でも本質(=意識)は、ゆっくり、確実に、島の中へ浸透していく。
海面の上に出ている島々は別々に見えても、実は海の底でつながっている――そんな絵が立ち上がってくる。

風が波になって騒ぐその下には、動かない静けさがある。
天の大海の中で、島々はどこかで手を取り合っている。

静謐で、底知れない寂寥感が漂うのに、同時に普遍的なあたたかさがある。
「永劫的な真理」みたいなものを、言葉の手触りではなく、音の体温で語っているように思えてならない。

――というわけで関係者の皆様、ここまで全部、たぶん私の妄想です。すみません。

音そのものが、もう「深い海」なんだよ問題

音楽的にも、いちいち美しい。

  • バスフルート(や低音管の)深い憂い
  • キース・ティペットのピアノが一音鳴るだけで感情の輪郭を細く描き直す
  • メル・コリンズのサックスの音が急に人間味を連れてくるのがズルい
  • ハーモニウムがドローンみたいに居続ける感じ
  • 終盤、押し寄せてくるメロトロンの波
  • そしてボズのボーカルの「遠さ」——近づかないのに、届く

もう倒れそう。
曲が終わっても、余韻でしばらく固まるタイプの音楽です。

中高時代の私へ(そして、今の私へ)

私がこの曲を「もしかして本質に触れてるのでは?」と感じはじめたのは、大人になって瞑想に触れるようになってからだ。
そう思うと、シンフィールドの他の詩にも、同種のお宝が埋まっているのかもしれない。
ただ、難解すぎて発掘がたいへんそう。やるなら一大プロジェクトだ。

でも実は私、昔それをやりかけていた。
中学〜高校の頃、キング・クリムゾンはもちろん、シンフィールド唯一のソロ作 Still、それから PFM の Photos Of Ghosts まで、歌詞をノートに書き出して理解しようとしていた時期があった。
……のに、内容はあんまり覚えてない(笑)。どちらにしても、とんでもなくマセた中高生だった笑

けれど、わからないなりに、感性のどこかは確実に触れていたんだろう。
成績は壊滅的で、レコード大量に抱えて放送室に籠って、放課後は楽しいバンド活動。
勉強しないで、そんなことばっかりやってた。無謀にも自分なりに訳してみたりもして。

当時のノート、見てみたいなあ。
いったいどんな訳をでっちあげてたんだか——たぶん、今の私が赤面するやつだ。

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