明晰夢:空港に辿り着けない地獄絵図から、泡と大海へ

スピリチュアルな日常
明晰夢の体験:悪夢の最中に「夢だ」と気づいた瞬間—泡と集合意識の海の夢日記

それは、日本に帰国しようと空港へ向かう途中の夢だった。
・・・のはずなのに、なぜか一向に辿り着けない。

道はやたらと細く、曲がりくねっていて、目印は信用ならない。
「今ここで合ってるの?」「え、また行き止まり?」
意味不明な困難が、意味不明なタイミングで、意味不明な顔をして現れる。

焦りが積み上がっていく。
飛行機の時間が迫る、というより、迫っている気がする。
こういう夢の厄介さは、根拠のない焦りほど、やたらとリアルなところだ。

そして夢は、さらにいかにも夢らしい展開を繰り広げていく。

道のど真ん中、細い通路に、子どもサイズの「それ」が三人、横たわっていた。
全身の皮膚がなく、真っ赤で、餓鬼みたいで、妙に生々しい。
通れない。止まれない。戻れない。
普通なら恐怖体験だけど、まるでこういうのがいても普通な印象で対応している自分。
道を塞ぐなよ〜的に「ごめん!」と叫びながら、私はヨイショとまたいだ。

すると、逆上された。

三人は這いつくばった姿勢のまま、猛烈な速度で追いかけてくる。
這ってるのにすごいスピードだ。
理不尽とツッコミが同時に湧き上がって、脳内が大渋滞を起こす。

逃げる。曲がる。転びそうになる。
気づけば私は、なぜか荷物を何ひとつ持っていない。
パスポートも、財布も、パソコンも全部ない。
「え、どこいった?!」と探す間もなく、次の展開が来る。

「もう一度家に戻らないと」
夢の中の私は、なぜかそれを当然のこととして理解していて、絶望する。

カオス。
理不尽。
疲労。
そして、怒り。

あらゆる方向に引きずられ、すっかりヘトヘトになって、私は思った。
――あ、これもう、乗れないわ。終わったわ。

その瞬間だった。

夢だ、と分かった瞬間

まず、すべてが夢であることを、疑いようもなく理解した。
「夢だ」と考えたのではなく、「夢だ」と分かってしまった。

そして同時に、一瞬にして夢の主役から完全に離脱した。

さっきまで必死で走っていた私が、まだ夢の中でドタバタやっている。
でも、それを演じている私とは別の場所に、観察者としての私がいる。

そのとき、夢は形を変えた。

逃走劇の舞台が、きゅ〜〜〜〜っと収束して、
はかない光を放つ、泡のような球体になった。

観察している私は、その球体から一気に遠ざかる。
背景は無限の漆黒。音も距離も、概念が溶けるような空間。
そこに、ひとつの泡だけが浮かんでいる。

そして、あっけなく――
シャボン玉が弾けるみたいに、それは消えた。

泡が壊れたあとの雫が、ポツンと空間に落ちて、溶けていく。
その落ちるという感覚すら、どこか抽象的で、しかし妙に美しい。

すると、いつのまにか、空間は大海になっていた。

私は、その海の中にいた。
「私」というより、海に立つ波のひとつとして、浮かび上がっていた。

周囲には、似たような美しい泡がたくさん漂っている。
ふわふわ飛んで、弾けて、海に戻っていく。
生まれては消え、消えてはまた別の形で現れる。

そこで私は思った。

あ、私もあの泡になって、ここから分離されて、
また混沌とした夢の中に戻るのかな。

分離。
でも、その分離は、完全な断絶ではない。
泡が浮かんでいる場所も海の一部で、
泡が消える場所も海の一部で、
結局はずっと一体なのだ、という感じも同時にあった。

その感覚を抱いたところで、目が覚めた。

なんという深淵な夢でしょうか(笑)

いや、深い。
深いけど、書きながら自分で笑ってしまう。
なんだこのスケール感。

たぶん私は、その時の自分の生活を、正直に夢に持ち込んだのだと思う。
2週間前まで、3ヶ月近く、瞑想トレーニングの通訳をしていた。
集合意識の海、そこに浮かび上がる波・・・
そういう表現が、トレーニング内容として日々、身体に入ってきていた。

刷り込みと言えば刷り込みだ。
でも仮に刷り込みが作った夢だったとしても、
あの体験は、ただの再生では終わらなかった。

主役として走り回っていた自分から、観察者としての自分へ。
物語が泡になって、弾けて、海へ戻っていく。
「必死」も「恐怖」も「怒り」も、夢の中では絶対だったのに、
見方が変わった途端に、全部が現象としてほどけていった。

そして最後に残ったのは、あの一言だ。

「なーんだ、夢だったのかー。」

……いやはや。
本当の夢はどっちなんだろね(笑)

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