昨夜、外キッチンで1人で鼻歌しながら犬の朝メシの仕込みをしておった。(ウチのワンコの飯は真空鍋でトロトロに煮込まれた肉と野菜で、人が食ってもウマイ)満月が大変美しく輝いており、ヒンヤリとした空気が気持ちよく、なのに意味もなく切ない心持ちでヴィヴァルディのスタバト・マーテルを歌いながら、内鍋を外鍋にセットして家に入り、自室に引き上げる前にニュースでもチェックしてからとおもってテレビつけたらさ、パっと画面に登場したのが映画「リプリー(The Talented Mr. Ripley)」で、ちょうど男性2人が会話しながら、1人の男性がピアノをポロポロと弾いていて、それがスターバト・マーテルだったんである。(←その部分の動画はココ)いや、びっくり。そして、そのまま映画の場面は教会(ヴィヴァルディで有名ななんとかちゅー教会だろう)になって、ボーイソプラノが再びスターバト・マーテルを歌う。
わお!ピッタリとシンクロじゃ!!
そんなこんなで、スターバト・マーテルが頭をグルグル回っているときに、ミクシィにアクセスしたら、カーメルの愛すべきある友人の日記が目にとまりました。この友人の最愛の1人息子さんは、ワシと知り合う前のことですが、闘病生活を経て光の故郷へ帰られました。普段、人の100倍元気な彼女の日記に、「悲しみが予想外にやって来る」とつらい胸の内を明かしていて、ワシも胸がキュンとなっちゃって・・・。自分は姪っ子の子どもの訪問で浮かれていたもんだから、そのまま声もかけられずミクシィを閉じたのだが、フと気がつくと、そうか、それでワシはさっきからスターバト・マーテルを歌っていたんだ、と気付いた。
ご存知ない方のために簡単に説明すると、スターバト・マーテルとは「Stabat Mater dolorosa〜」で始まる聖母マリアの最愛の息子キリストの死を嘆き悲しむ歌です。その出だしを訳すと(ラテン語)「悲しみに沈める聖母は立ちぬ」。古くから現代まで多くの作曲家が、同じ詩でスターバト・マーテルを作曲しているっつーものです。
ワシが彼女に伝えたいのは、悲しいときは悲しんじゃえちゅーことです。夫君の「いつまでも悲しみ過ぎ」っつーのも、悲しみを表に出さないのは父親の役割でもあるらしいし、これも彼女を励まそうとして放たれた言葉であると思うっす。この世にたった1人自分のところに子どもとして現れた命と、思いがけず早く別れることになってしまった母親の悲しみは底知れないものがあるよね。自分だったらと考えてみても、あまりにも深過ぎて想像も付かないよ。そんな大変なことを乗り越えてきたんだから、悲しみに襲われたときは、そのまま逆らわずに徹底的に悲しんじゃってもいいんじゃないかって思うのよ。特に彼女の場合、普段元気すぎるくらい元気で太陽みたいなおっさん女性だからさ、そのまま落ち込み過ぎて壊れちゃうんじゃないかとか、あたしゃそんなことは全然心配しとらんのだけど、でも元気な彼女だからこそ、落ち込んだ姿を考えると遠くにいても辛いものがあります。。
姪っ子のあかちゃんが遊びにきて嬉しくてフワフワした気持ちでいながら、スターバト・マーテルをずっと歌ってたって、きっと友人からのメッセージが満月の光に乗って、ここまで届いていたに違いない。
お〜〜〜い、頑張れよ〜〜〜〜〜。
スターバト・マーテルについて
解説はこちらに任せた。
カウンターテナーのフィリップ・ジャルスキー(Philippe Jaroussky)が歌うスターバト・マーテルは〜っけん!!!!ぎゃー。
この人の声、噂には聞いていたけど初めて耳にしました。アリア系とか「ショー」系のハデハデな曲を歌う人なんだと勝手に勘違いしておった。宗教曲が似合う新しい声に触れて感激!youtubeさま、ありがとうございます(涙)
美しい韻を踏んだ詩で今回自分で口ずさんだり脳内演奏したりしてたスターバト・マーテルはヴィヴァルディのでしたが、ワシ的にはパレストリーナの中世な音が凄く好き。あとはやっぱりペルゴレージ版でしょう。愛するペルトのバージョンも捨てられません。さらにドヴォルザークのスターバト・マーテルは、彼自身も子ども達を次々と亡くした経験があり、一層の深い思いと祈りが込められているような気がして涙が出ます。。
Comments
trackback uri
本当につぃ先日、夜中に突然目が覚めて、
娘がいなくなってしまう恐怖を感じ、ものすごく
動揺した私。なぜだかは分からず。
それで、「どうぞ娘をお守り下さい」とありとあらゆる
ものにお願いしたの。
それからすぐに知り合いが「娘さんは神によって
守られていますってメッセージだよ」と言った。
なぜ突然、あんな感覚になったのかは未だに
わからないんだけれど、私も想像しただけで
狂いそうになった。だから、そのお友達のことを
考えるともう言葉もない。あぁ、ごめんなさい…
子どもに何かあったり、先立たれちゃったりって、母親の最大の恐怖だよね。ワシもよく心配し過ぎだって周りによく言われる。娘なんてもうウンザリしてる模様(笑)しかし、それって母性本能だと思わない?で、過保護になったり、子離れ出来なかったりでバンラスが大事なわけだどさ。
子どもに先立たれたら、時間がたてば乗り越えることはできるかもしれんが、悲しみを心の隅に一生持ち続けるのはしょうがないよね。問題はどうやってその悲しみと付き合っていくか、だ。
なんてエラソーに言うけど、きっと自分だったら大変だぞ。死んじゃうかもしれん。
Mちゃんの乗馬風景写真みたよ〜〜。大きくなったなあ。可愛くて、ありゃ心配で当然よ。(^^)
年に3回程はまるんだよね。。。。で、行きたく無い所、会いたく無い人とかもある。そこから逃げてはいけないんだろうけどまだ逃げてる私が旦那を苛つかせてるのも分かる。散々悲しんで来たけどこれからも死ぬまで息子を亡くした事を悲しむんだよね。旦那も同じ気持ちなんだろけど役割が違うからこうなっちゃうんだ。
ありがとう、元気になったよ。
その会いたく人の中に旦那の友達とかも居る訳。
彼女はいい人だろうけど、友達やのにそんな事(こーちゃんの事で)言ったらあかんわ〜って事言った訳。正直、ぶん殴りたかった。
冗談のつもりやったらしいけど、わしは友達やったし許せへんねん。直ぐにわしは抗議したけど、誤りもせんかった。
ケリーはそんなわしの気持ちは分かってるようでどこまで重いのか分かってへんと思う。
うんうん、わしは悲しい時はしっかり泣いてる。
シチュエーションはいきなり来るからな。。。。。深いのは年に3回程やけど、軽症のはしょっちゅうよ。
年に3回で済むなら優秀だよ!!行きたくないとこやあいたくない人や、そういうのは別に頑張りまくって立ち向かわなくてもいいじゃん。それって逃げるっつーんじゃないわ。我が子をなくしたら、一生そこに悲しみがあるのは当然。なのでその気持ちと上手に付き合ってるみっちゃんはスゴイと思うよ。たまに、落ち込んだって当たり前のことじゃん?なあ?
有香ちゃん、ご無沙汰してます。
いつもこっそりブログ読ませていただいては、
初めて聞く音楽にひとり感動してる私です。
私も泣くことに罪悪感をもたなくてもいいと思いますよ。
いま(2009/1/11から)時間の扉が開いてるそうです。(いつまでかはっきりわからないけど)
だから いま もういま目の前にいない人に
メッセージを送るチャンスと聞きました。
実際に書面で書かなくてもいいから たとえば
もう亡くなったお母さんが、自分を生んだときとか
自分と同じ年頃のお父さんに とか
そういうこともできちゃう。
自分が死んだ後に残された我が子とかにでも
なんでもできちゃう。
いまなら ライブな感じで
そのときのその人に ちゃんと そのメッセージが届くらしい。
これをやって実際私の友人が亡くなったお母様の
夢をとてもリアルに見たそうです。
もし、会いたいなら、会えるのでは、と思い
書かせていただきました。
みっちゃん>
人生みんなそれぞれ色々あるけどさあ。みっちゃんはエライよ、ほんとに。アメ人って、めちゃ無神経な人いるからね。時々びっくりすること平気でサラっと言うもんね。まあ、腹ん中で思ってるんだったら、言っても同じっちゅーか、ああ、そういうこと思ってる人なんだってわかるだけ助かるっつーのもあるよ。知らないで仮面で付き合ってもらったって嬉しくないじゃん。
みっちゃんが泣くとき、わしの豊かな腹を貸してあげたかったよー。
‡Ako‡さん>
こちらこそすっかりご無沙汰っす!!元気ですか???ワシのおタク限りない音楽話題を読んでくれているって嬉しいです。検索でひっかかってくる以外、音楽話題は友達は読んでないと思ってますから(笑)
時間の扉が開いている・・・
ワシは家族にいろんなメッセ−ジを送りたい。死んだばーちゃんとかより、生きてる家族に(笑)生まれたばかりの長男に、親不孝を続けている母親に、自分が申しわけないと思った全てのことに。書き出してたら大変な量になりそうだけど(^^;
素敵な情報ありがとうございました。
おおい、みっちゃん、 見てるか、これ!!