ドビュッシー前奏曲集第1巻10番「沈める寺」〜共鳴する和音の波にのまれて

クラシック・現代
ドビュッシーの「沈める寺」とイースの伝説

フォトショップに取り憑かれてる私は、ブルターニュの伝説「イース(Ys)」をイメージして、光の粒や海の気配を重ねたフォトコラージュを作った。それがトップの画像である。
このフォトコラージュは【2002年3月の旧ウエブサイトの日記に掲載→2006年旧ブログのフォトコラージュ・ギャラリーに「イースの伝説」として転載→2008年イマココ】

そして、そのコラージュにどうしても添えたかった曲がある。
ドビュッシー《前奏曲集 第1巻》10曲目――「沈める寺(La cathédrale engloutie)」

ドビュッシーの宝石箱みたいな曲の中でも、これは特別だ。好き、というより、巻き込まれる。

海の底から、音が立ち上がってくる

聴きはじめてすぐ、空気の密度が変わる。
遠くで鳴っているはずの鐘が、だんだん近づいてくる。石の壁に反響する祈りの声が、低い和音のうねりに混じって、輪郭を持ちはじめる。

海から浮上する大聖堂。
一瞬だけ、こちらに姿を見せる美しい教会。
そしてまた、厳かに沈んでいく――静寂が戻る。

この曲の和音は、ただ「重い」のではなく、重なり方が神秘的なんだと思う。
変化していく和音が幾重にも折り重なって、共鳴し合って、そこに色が宿る。
ああ、なんという色彩。

ドビュッシーは、音で光を描く人だ。
有名どころ(「月の光」とか「アラベスク」とか)は、その輝きが眩しいくらい強い。
でも「沈める寺」は、もっと深いところで光る。地味なのに、見えてしまう情景が圧倒的に強い。


楽譜、見たことある?――団子屋である

ところで、楽譜を見たことあるだろうか。
あれ、まるで団子屋だ。串に刺さったお団子が、みっちり並んでいる。

だんご三兄弟とかいう可愛い話じゃない。
一串に7個。いや、7個に見える。
そして7個に聴こえる。
指は片手に5本しかないのに、平然と「全部まとめて鳴らしてね」と言ってくる顔をしている。

こいつめ!

でも、ドビュッシーは本当に「7個押さえろ」と言っているわけじゃない。
音を縦に積んで、響きを何層にも重ねて、ペダルと倍音で巨大な和音に見せているだけだ。
手のひらの現実より先に、耳の中で建築が始まってしまう。

だから譜面は団子屋なのに、鳴ってくるのは大聖堂だ。
指が足りない、というより、こちらの世界観が追いつかない。
ドビュッシー、天才。


地球防衛軍みたいな顔で弾く男――ミケランジェリ

この曲を弾く人は多い。名演も山ほどある。
でも私の頭の中に最初から棲みついたのは、今は亡き アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリだった。

表情が動かない。無駄がない。
マンガみたいに強い男の顔で、海底都市の鐘を鳴らしてしまう。
あの冷たさが、逆に怖いほど合う。
地球防衛軍ミケランジェリ、出動演奏がこれ↓

(もしリンクが消えていたら “Michelangeli Debussy La cathédrale engloutie caprottimusic” で検索)


補遺|イース(Ys)の伝説について

(Wikiからだいぶ拝借しました)

ブルターニュには、海に呑まれた幻の都「イース」の伝説が残っている。都市は堤防と水門に守られ、王グラドロンがその鍵を持っていた――そんな基本形が多くの版本に共通している。

王の娘ダユー(Dahut)は奔放で、ある日、赤い衣をまとった“奇妙な王子”に魅入られ、水門の鍵を奪わせてしまう。
鍵が開き、海が流れ込み、繁栄した都は一瞬で沈む。

沈んだ都は、条件が揃うと再び浮上し、鐘の音が聞こえる――そんな言い伝えもある。
ドビュッシーの「沈める寺」は、まさにこの伝説の“音の幻視”として書かれた前奏曲だと言われている。

なお、この伝説に関連して「Par-Is(イースのように)」という言い回しが語られることがある一方、学術的な語源としてのパリ(Paris)は、ガリアの部族名 Parisii に由来すると説明されるのが一般的だ。伝承と語源は、別の層にある。

(補足)「Barzaz Breiz(Barzhaz Breizh)」は、19世紀にラ・ヴィルマルケがまとめて1839年に刊行したブルターニュ歌謡の集成として知られている。


だから私は、この曲に海を見る

音楽は目に見えないのに、目に浮かぶ。
「沈める寺」は、その力が異様に強い。
聴くたびに、海の底から和音がゆっくり持ち上がってきて、石の壁が水を切り、鐘が鳴り、そしてすべてがまた沈む。

ああ、私は音楽になりたい(笑)

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